北川の本塁打が歴史上最も劇的
2001年のリーグ優勝がかかった試合、九回3点をリードされながら満塁の場面で北川選手が代打に起用されました。この試合で勝てば優勝ですが、これは本拠地で行われる今シーズンの最終試合のため、地元ファンの前で優勝を決めるには、もうこの九回で3点を追いつくしかありません。
その絶体絶命の場面で打席に入った北川選手は、なんとホームラン。満塁で一挙4点が入りますからこれで逆転サヨナラの試合終了です。しかもこの瞬間にリーグ優勝が決定し、またそもそも3点差でしたから満塁ホームランでの4点で余分な点はないことになりますが、このことを野球の世界では釣銭なしと言います。よって代打逆転サヨナラ優勝決定釣銭なし満塁ホームランという、プロ野球の歴史でも唯一の場面となりました。この勢いをかって北川選手はその後のシリーズでも五割の打率を残し、活躍しました。
そしてこの時劇的な優勝をしたにもかかわらず、この数年後にチームはなくなってしまいます。同じリーグの別の球団と合併したからですが、その球団というのはその時対戦した相手のチームです。自分の方はなくなってしまいましたので、そのユニフォーム姿の最後の名場面ともなりました。このホームランは今でもプロ野球の歴史上最も印象的なハイライトのシーンとして今も語り継がれています。
珍しい代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打
長い野球の歴史の中でも大変珍しいのが代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打ではないでしょうか。
今のプロ野球ファンの中で最も印象に残っているのは当時まだ大阪近鉄バッファローズ時代の北川選手が打った場面だと思います。9回裏の近鉄の攻撃の時点でスコアは5対2とオリックスが3点のリードをしている状況です。ここで近鉄は驚異的な粘りを見せます。先頭バッターがヒットで出塁し、次のバッターも二塁打で出塁、その後のバッターも四球で出塁しノーアウト満塁の状況を作ります。ここで近鉄の監督はこの試合で3打席凡退している選手に代わり代打に北川を送ります。この試合に勝てば近鉄は優勝な訳ですが、まさか誰もが満塁本塁打を打つとは思っていなかったでしょう。
ボールカウントが2ストライク1ボールと追い込まれた状況で北川選手がフルスイングした打球は、バックスクリーン左横の観客席に飛び込む本塁打となりました。この本塁打により近鉄が6対5でオリックスに勝ちパ・リーグ優勝が決定しました。
これが長いプロ野球の歴史の中でも史上初となる代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打です。代打逆転サヨナラ満塁本塁打はプロ野球の歴史の中で何度かありますが、優勝決定となると北川選手の1人となります。
偉大なプロ野球記録の連続試合出場
プロ野球には、様々な偉大な記録があります。
分かりやすい記録だと、打者なら本塁打数や安打数、投手なら勝利数や奪三振数です。
どれも偉大な記録ですが、同じように偉大な記録とされるのは連続試合出場です。
連続試合出場には、試合開始から試合終了まで交代せずに試合に出来続けるフルイニングと、途中交代や代打や代走での出場をカウントする記録の2種類あります。
そのなかでも特に評価されるのは、フルイニングです。
プロ野球選手は、全国各地を移動しながら試合をしなければいけません。
また、試合中には怪我もつきもので、一年間怪我なく健康に試合に出続けられるレギュラークラスもいません。
つまり、フルイニングで一年間試合に出続けるのは、素人が思うよりも大変なことなのです。
現在の連続試合フルイニング出場は、1492試合です。
単純に計算しただけでも10年以上になるので、いかに偉大な記録であるかが分かるでしょう。
実際に記録を達成した選手は、骨折しても試合に出続けたほど、怪我に強いプロ野球選手でした。
もちろんフルイニングでなくても、毎日試合に出場することは尊敬すべきことです。
怪我を我慢しそれでも成績を残せるプロ野球選手でなければ、達成不可能な記録でしょう。
山本昌の50歳登板・勝利
山本昌(やまもと まさ)投手は、50歳という年齢での登板と勝利という、プロ野球界でも稀有な偉業を成し遂げた選手として知られています。
彼は長年中日ドラゴンズ一筋で活躍し、「生ける伝説」としてファンや選手たちからも尊敬を集めました。
そのキャリアは1984年のプロ入りから2015年の引退まで続き、50歳まで現役生活を続けたその姿は、日本球界でも類を見ないものです。
山本昌選手がキャリアを通じて積み重ねた勝利数は219勝にのぼり、この成績は左腕投手としては日本プロ野球記録となっています。
2006年には、41歳でノーヒットノーランを達成するなど、年齢に関わらず常にトップレベルの投球を披露しました。
この功績から、長寿投手としてだけでなく、実力あるエースとしても知られ、チームに多大な貢献をしてきました。
2015年、山本昌はプロ野球史上最年長の50歳で登板を果たしました。特に注目されたのは、2014年に迎えた49歳シーズンでの勝利です。
49歳での勝利はプロ野球史上最年長勝利記録であり、50歳に近い年齢でマウンドに立ち続けることは非常に困難なことであるにも関わらず、その年齢にして一軍で勝利投手となるという偉業を成し遂げました。さらに、50歳での登板も達成したことで、プロ野球界の年長記録をさらに更新しました。
山本昌の50歳での登板・勝利は、日本のプロ野球界に大きなインパクトを与えました。一般的にプロ野球選手は30代半ばで引退することが多いため、彼の存在は「年齢に関係なく努力次第で現役を続けられる」という希望を若手選手やファンに示しました。
また、山本昌のように長く現役で活躍する選手が増えることで、経験豊富な選手がチームやリーグ全体に与える影響も大きくなるため、彼の偉業は後進の選手たちにとっても模範となっています。